[書籍]冷泉家の800年と円谷プロの50年

冷泉家 八○○年の「守る力」 (集英社新書)

冷泉家 八○○年の「守る力」 (集英社新書)

 藤原俊成・定家という父子の歌聖をその祖とする冷泉家は,原当主の為人氏で25代目,800年続く家系だそうです。現在も,定家の筆による古今和歌集をはじめ5件の国宝,47件の重要文化財を守っているという,その事実だけでも驚きですが,現当主の夫人が語る冷泉家の「守る力」は実に京都らしく,各章につけられたタイトルからもそれはうかがえます。

「大事にせんとバチが当たる」
「そこそこやから続いてきた」
「『昔からそうしてきたから』でけっこうやないですか」

 本書では,代々の当主のエピソードが淡々と語られていますが,平穏だった江戸時代が終わり,明治維新,第2次世界大戦という荒波の中で,冷泉家がどのように「守る力」を発揮してきたのかがわかります。
そして,現当主の夫人は,こう言います。

 世の中,別に,それほど人と違わなくてもいいのです。人と違うことを声高に言いつのったり,声高にものを言う人ばかりで世間が動いているわけではありません。
「人と違うこと」を妙にやろうとするのは単に奇抜なだけで,人を驚かして喜ぶような仕方はかえって始末が悪い,と申し上げておきましょう。
 そんな冷泉家も守れなかったことがあります。
 直系跡継ぎ男子です。
 冷泉家は,23代当主為臣氏が中国戦線において34歳で戦死し,直系跡継ぎ男子が途絶えます。その後,24代当主,25代の現当主ともに,婿入りという形で冷泉家に入ります。筆者はこうした事情について,こう述べます。

 それ(引用者注:直系跡継ぎ男子が途絶えたこと)は男子を得て家系をつなぐことを目的とした「側室制度」が当然であった時代ではなくなったということでもあります。それが昭和という時代でした。

 ほぼ同時期に,円谷英明さんの『ウルトラマンが泣いている――円谷プロの失敗』を読みました。この本を読むまで,円谷プロが,パチンコ機器の製造販売を営む,株式会社フィールズの子会社になっていることも,円谷家の人たちが経営陣に残っていないことも知りませんでした。
 円谷プロ創業者である円谷英二氏の孫で,第6代社長でもある筆者は,「はじめに」の最後にこんな風に語ります。

 成功と失敗,栄光と迷走を繰り返した末に,会社が他人の手に渡ってしまった背景には,一族の感情の行き違いや,経営の錯誤がありました。私も含め,どうしようもない未熟さや不器用さがあったことは否めません。
 円谷一族の人間は皆,いい意味でも悪い意味でも,子供だったのかもしれません。
 TV局が負担する制作費の2倍も3倍ものお金をかけて,「ウルトラマン」を制作していたのでは,資金繰りが苦しくなるのは当然ですし,親族の間で疑心暗鬼になってしまっては,社員もついてこないだろうとは思うのですが,それでも円谷プロが世に出してきたものに対する評価が下がるわけではないでしょう。
 昨日のニュースでは,円谷プロ創立50周年を記念して,純金のウルトラマン像が販売されるということですが,一口で50年といっても,いろんなことがあるものだと思いました。
http://mainichi.jp/select/news/20131024mog00m040014000c.html

【税理士 米澤 勝】