[書籍]内部統制監査研究会編『内部統制・内部統制監査の研究』

内部統制・内部統制監査の研究 (JLF叢書 Vol.19)

内部統制・内部統制監査の研究 (JLF叢書 Vol.19)

 ブログ「ビジネス法務の部屋」を主宰する弁護士の山口利昭先生もメンバーに名を連ねていらっしゃいます内部統制監査研究会による内部統制システムの不備に関する事例研究の書です。多くの訴訟事例が解説とともに掲載されており,責任が認められた判決,認められなかった判決という風に分けて解説いただいていることもあって,読みやすい構成になっていると感じました。

 本書の誕生については,以下のような記述があります。

 裁判実務を経験した者でなければわからない法理論構築の必要性を痛感し,行われている会計実務を法的観点から再評価することが,経営と外部監査に確かな法令遵守の光を当てることとなり,法律と会計の不要な隔壁や裁判実務家の関心の薄さを取り除くことに役立つ,と確信した。(はしがきより)
 法律家のみなさんが事後的に会計監査・内部統制監査を検証された場合,非常に厳しい評価をされることが多いように感じています。7月に行われた青山学院会計サミットにおいても,公認会計士協会の会長から,「第三者委員会により事後的に会計監査の問題点を指摘されること」に対する不満の言葉がありましたが,法律家と会計実務家との間にはやはり大きな溝があるといえるのではないでしょうか。

 本書では,自主廃業した山一證券の会計監査についての監査法人の故意・過失責任を追及した訴訟について,証拠として提出された監査調書・監査メモを引用しながら,詳細に担当公認会計士の監査状況を追求しています。訴訟自体は,監査法人の過失を認めないまま,最高裁で上告を棄却,上告受理申立は不受理として,確定していますが,本書で問題点として取り上げられた事象は,確かに会計監査において適正意見を出すための心証形成には欠かせないことが多いように思われます。
 一方,訴えられた側である公認会計士伊藤醇氏が著した『命燃やして――山一監査責任を巡る10年の軌跡』を読みますと,また視点が変わってきます。
 別の箇所ですが,こんな論述もありました。

 監査人が不正の端緒に気づきながら放置し,民事・刑事・行政上の責任問題が浮上して後に,通常実施すべき監査手続を履行したか,注意義務を尽くしたといえるかというような議論に埋没するのでは,あまりにも非生産的であり,監査業務の発展にも貢献しない。
 まったくその通りなのですが,「端緒に気づ」いていたかどうか,「放置し」たかどうかはともかく,いったん責任問題を追及された場合に,そうした議論をすることなしに,訴訟手続きにおいて自らの正当性を訴える手段がないのもまた,事実ではないでしょうか。上述の伊藤醇公認会計士は,わが国の裁判制度が,「監査人自らが訴訟当事者となることが不可欠である」として,次のように書いておられます。

 ある日突然,損害賠償請求訴訟の被告とされた今回のケースでは,一方において,十分な監査を実施したので,監査人として注意義務に欠けるところがないことを確信していても,黙っていれば,一方的に原告に押しまくられるので,実施した監査に過失がないことを立証するための作業が要求された。
 立証作業の中には,「監査人が実施した監査手続により何故,問題点に到達できなかったか,その原因を調査すること」も含まれています。それを「非生産的」とか「監査業務の発展に貢献しない」と断じられるのは,いささか公認会計士のみなさんが気の毒になったりもします。
 外部にいる者としては,どちらが正しくてどちらが間違っているなどと軽々に意見を述べることはできませんが,法律家のみなさんが会計監査に期待することと,実際の会計監査の場で行われている監査手続との間のギャップの大きさを改めて感じます。
 そして,裁判所の判断は,職業的専門家に対してどんどん厳しさを増しているように思います。

命燃やして―山一監査責任を巡る10年の軌跡

命燃やして―山一監査責任を巡る10年の軌跡

【税理士 米澤 勝】