[書籍]藤沢周平『密謀』,『漆の実のみのる国』

 いわゆる時代小説には縁のない読書生活を送ってきましたが,今年になって,藤沢周平さんの小説を読み始めました。とくに理由があったわけではなく,若いころはまったく面白いと思えなかった時代小説を,私自身,面白いと思える年代に達しただけということかもしれません。
 読み始めてみると,日本史に対する知識がところどころ欠落しているのをあらためて知ることにもなり,恰好の息抜きの時間を提供してもらっています。
というわけで,謙信後の上杉家の盛衰を描いた小説を2冊,続けて読みました。夏休みの読書感想文第2弾というところです。
 ところで「歴史小説」と「時代小説」とは何が違うのでしょうか。新潮文庫版『密謀』の解説を書いた尾崎秀樹さんによると,「歴史小説は史実を尊重し,時代小説は,ある程度,史実や時代状況をふまえながらも,自由な虚構を加えたものをさしている」ということのようですが,この分類に従えば,この2つの小説は,歴史小説ということになります。

密謀(上) (新潮文庫)

密謀(上) (新潮文庫)

密謀(下) (新潮文庫)

密謀(下) (新潮文庫)

『密謀』は上杉景勝直江兼続主従が活躍した上杉120万石全盛時代の物語です。石田三成直江兼続がどの程度親しかったのか,史実はともかく,本書の中では,実に親しげな二人が描かれています。
 それだけに,会津討伐軍を率いた徳川家康が,石田三成の挙兵を聞いて引き返すのを見て,当然のように直江兼続は追撃を主張したわけですが,景勝は諸将を押さえて会津に引き上げます。「上杉は自ら攻めることをしない」と。
そのときの描写です。

 血縁のようだった主従の間に,暗い亀裂が口をあけたのを兼続は見た。景勝は謙信のころの古い義を言っている。そこから一歩もすすんでいない。いま,上杉は天下の大勢に遅れるところだと思った。
 この時の決断が,関ヶ原以降の上杉家に対する冷遇と,江戸時代における米沢藩の貧困の原因となっていることは,読者である私たちにはわかっているだけに,どうして景勝は家康を追撃しなかったのかと,作者藤沢周平ならずとも疑問に思うところです。

漆の実のみのる国 上 (文春文庫)

漆の実のみのる国 上 (文春文庫)

漆の実のみのる国 下 (文春文庫)

漆の実のみのる国 下 (文春文庫)

 時代は下って,上杉治憲治世の米沢藩の困窮ぶりを描いたのが『漆の実のみのる国』です。
 上杉治憲〈のちの鷹山〉は,若くして藩政改革に乗り出し,米沢藩の財政を立て直したと言われており,バブル崩壊後には彼に見習うべきだというビジネス書が数多く発刊されました(生憎,私は何も読んでいませんが)。
 120万石だった上杉家は,関ヶ原の戦い徳川将軍家の恨みを買ったことから30万石に減封され,さらに,家督を継ぐ者が途絶えかけたとの科で半分を召し上げられて家禄は15万石にまで減らされています。しかし,120万石であったころの大国意識は消えず,藩財政は逼迫しているにもかかわらず,改革は遅々として進まないありさまです。
 治憲はこう述懐します。

 この国の痼疾ともいうべき大国意識が,藩政改革をさまたげている最大の原因だと覚ってから久しい。
 上杉はかつて越後の太守として,京の足利将軍にも頼りとされた戦国の雄だった。豊臣政権のときに,越後から会津に移されたが,それでも麾下8千の精鋭を温存する禄高120万石の戦国大名だった。この意識が,奥羽の一隅に15万石の封をつたえる今も,事あるごとに表面に浮かびあがって大国の格式,体面を主張するのだ。いまにして思えば,家督を継いだあとに示した治憲の改革方針に対して,藩重臣らがこぞって反対をとなえたのも,無視された大国意識がはげしく反発したのだと,治憲はかえりみることができる。
 物語は,治憲が,中老・莅戸義政がまとめた,後に「十六年の組立て」と呼ばれる意見書をほめたところで,急に20年余りのちの治憲〈鷹山〉が「若かったおのれを振り返っ」て微笑を浮かべるシーンで,唐突に終わりを迎えます。
 文春文庫版の関川夏央さんの解説によれば,連載中の『漆の実のみのる国』は,「あと2回分40枚,長くとも3回分60枚で擱筆するつもりだった」ところ,藤沢周平さんの体調がそれを許さず,末日の6枚分が最後の原稿となったとのことです。

 米沢市には25年ほど前に,一度,行ったことがあります。もちろん,自分の名字と同じ町を見てみたいという理由だけで。事実としてわかったことは,米沢市には,米沢姓も米澤姓も住んでいないということでした。
 そのとき,上杉家と米沢藩についてもう少し知識を有しておれば,もっと興味深い滞在になったのではないかと,今になって後悔している始末です。

【税理士 米澤 勝】