[書籍等]小林哲夫『高校紛争1969‐1970――「闘争」の歴史と証言』

高校紛争 1969-1970 - 「闘争」の歴史と証言 (中公新書)

高校紛争 1969-1970 - 「闘争」の歴史と証言 (中公新書)

 実は,わが母校――大阪府市岡高校は高校初の「校長室占拠」を引き起こしたことで,高校紛争の歴史に名前を残しています。1968年9月2日,2学期の始業式の朝のことでした。占拠に至った事情は本書でも詳しく述べられていますが,校長室占拠から7年6カ月後の1976年4月に入学した私たちには,そのような歴史はほとんど教えられていません。当時の在学生でその後教師として母校に戻られた先生や,親しくしていただいたOBの中には,当時のことを詳しく知る人もおられたはずなのですが,みな,事件そのものにはあまり触れたがらなかったように記憶しています。
 そして,私たちは,とっくに過去のものとなってしまった事件の知識をほとんど持たないまま,事件の結果,先輩たちが勝ち取ったであろう,きわめて緩やかな校則と,まったく自由な服装,髪型を与えられて,3年間の高校生活を送ることになりました。

 本書は,高校紛争から40年以上の歳月が過ぎたことで,ようやく当時の生々しさから解放されて,当時を振り返ることができるようになった人々の証言と,新聞報道,学校史,機関紙などの資料を丹念に収集,分析した労作です。
 有名人も数多く登場します。母校の校長室占拠には,当時,灘高校の学生だった高橋源一郎氏も参加していたといいます。他にも,都立新宿高校坂本龍一氏,長崎県佐世保北高校の村上龍氏,宮城県第三女子高校の小池真理子氏などが,高校紛争にかかわった様子が描かれています。

 高校紛争があっさり沈静化してしまった原因について,著者は以下のように分析しています。
 一つは,活動家を排除する動きである。校内で政治活動をさせないための管理,警備体制の強化,校則違反者への厳しい罰則の結果,活動家は,学校内で活動の場を失った。
 またそれ以上に,ほとんどの学校では,紛争を起こした代が卒業することで,後代に引き継がれず,学校は静かになっていき,虚脱感,諦めのような空気が流れたことに加え,連合赤軍事件,内ゲバの頻発もあって,高校生に「政治離れ」「活動家離れ」を起こさせた。

年表を見れば,のちになって「はしか」のようなものと揶揄されても仕方がないほど,高校紛争は短期間に起こった出来事であった。歴史に埋もれ,人々の記憶から薄らぎ,時とともに消えてしまうのも無理はないかもしれない。
 すっかり忘れていたと言えば,高校紛争当時,沖縄はまだ返還されていなかったという史実についても,本書を読んで思い出したような次第でした。沖縄返還は,高校紛争が終息した1972年5月15日。したがって,紛争当時の高校名は「沖縄県立」ではなく,「琉球政府立」であったわけです。
本書の最後にある著者のコメントをもう一つ引用します。

高校紛争を完全に風化させる,史実に埋もれさせることは,高校のあり方,高校生のありように関わる問題に取り組むうえで,貴重な素材を失うことになりはしないだろうか。
【税理士 米澤 勝】