[書籍等]田中周紀『国税記者――実録マルサの世界』

国税記者  実録マルサの世界

国税記者 実録マルサの世界

 以前,知り合いの新聞記者から,「日刊ゲンダイに連載している『実録マルサの事件簿』が面白いですよ」と教えていただき,何度か,同紙を買い求めました。ただ,残念ながら毎回読むというわけにはいかず,断片的にしか読めていなかったのですが,今回,その連載が単行本化されたというので,まとめて読ませていただくことができました。
 著者の田中周紀さんは,共同通信勤務時代とテレビ朝日勤務時代の2度,国税庁記者クラブで取材にあたられた「国税記者」です。テレビ朝日勤務時代は自分より年下のキャリア官僚(部長クラス)を気にしながら,古くからの夜討ち朝駆けで,他社に抜かれないことに血眼になっていた様子がありありと描かれています。

 国税庁記者クラブの暗黙のルールのひとつが,国税居の調査が終わるまでは報道しないというものだと解説されます。

 国税庁記者クラブには「国税局の調査が完全に終わっていない事案を報道してはならない」という不文律が存在している。調査が終わっていない事案の報道は“前打ち”と呼ばれ,これをやるとその事案の調査をしている国税局の部署から長期間の出入り禁止,通称「出禁」を食らうことになるのだ。(中略)国税局幹部は,「調査の途中段階で報道されると,調査対象者に重要な書類を隠蔽・破棄される恐れがある。刑事告発を最終的な目的にしている査察部の事案の場合,脱税した当事者が海外逃亡したり,最悪の場合は自殺する可能性がある」と解説する。

 小職にこの連載のことを教えてくれた記者も,“前打ち”をやったために出入り禁止になった経験を有していると話してくれたことがありましたが,この前時代的な記者クラブシステムは,どうも小職には納得しかねるものでした。査察部が動いていることをみんな知っていながら,読者にそれを知らせないで,本当にいいのでしょうか――などと書くと,上杉隆さんみたいですか。

 小職が気になったもうひとつの箇所は,告発=起訴であるから,刑事告発の段階で顔と名前を出しても問題ないとする主張でありました。

 私がこのポジションに就いたころ(引用者注:2006年7月),テレビ朝日は脱税者が刑事告発される段階では顔どころか名前さえニュースで流すのを原則認めていなかった。理由は「人権上の配慮」。告発の段階では起訴されるかどうかすらわからず,人権上の問題があるというのだ。

そうした姿勢に対し,田中氏はこのように主張します。

 査察部が告発した事案はそれまで100%起訴されており,刑事告発の段階で顔と名前を出しても何の問題もないというのが,私の考えだった。要するに,国税ネタをきちんと報道した歴史がなく,告発の段階で顔と名前を出せるかどうかを真剣に議論したことがなかったのだ。

 後段の部分,当時のテレビ局の実態はそうだったかもしれないかなとは思います。ただ,前段には疑問を感じるところです。もちろん,これまで起訴されなかった事案はないというのが前提の主張ですが,その前提を覆しそうな事案が,現にありました。クレディ・スイス証券社員がストック・オプションで得た収入を申告していなかったとして,数百人が査察部に呼ばれ,追徴課税処分がされた事案です。査察部から検察に告発された元部長職の八田隆氏の件です。

 この章を執筆している11年11月10日の段階で,特捜部が八田(引用者注:元クレディ・スイス証券部長の八田隆)をどう処理するか結論は出されていない。査察部が告発した脱税容疑の嫌疑者を特捜部が不起訴または起訴猶予にしたことは,これまで記録にない。結論は12月中に八田に言い渡される予定だ。歴史は塗り替えられるのだろうか?

 この答えは,昨年12月7日に出ていました。
↓msn産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111208/crm11120800290001-n1.htm

 やはり,歴史は塗り替えられることはなく,元部長の八田氏は起訴されていました。ただ,この事案については,小職自身も「査察が動くような,ましてや特捜部に送るような事案なのか」という印象が否めません(悪質性を感じない=申告漏れであっても,脱税ではないのでは)。
 その印象を強めるのが,本書の以下のような記述でした。
 本件が発覚したのが2008年11月,八田氏に査察が入ったのが同年12月,事情聴取を経て東京地検特捜部に刑事告発がされたのが2010年2月(1年3カ月後),特捜部が事情聴取を始めたのが2011年9月(1年7カ月後),そして起訴が同年12月7日と,なんと,申告漏れ発覚から3年以上が経過して,ようやく起訴されるという,異例の推移をたどっていることです。
さらに,300人ともいわれる申告漏れがあった社員・元社員のうち,査察部の強制調査を受けたのが2人だけ。しかも八田氏以外の一人は結局告発を見送られたということです。
 こうした事案の推移を読んだだけでも,告発にはかなり無理があったのではないかとの印象を抱きます。

 本書は,査察部の調査能力を賛美する表現が多いような気はしましたが,それでも,かなりの紙数を割いて描かれた,キャノン大分工場建設をめぐる脱税事件や,人材派遣大手だったクリスタルの買収をめぐる脱税事件など,本書の後半部分には,緻密な取材に基づいた具体的な脱税手口の解説が詳細で,たいへん読み応えがありました。

【税理士 米澤 勝】