[書籍]冷泉彰彦『「上から目線」の時代』

 冷泉彰彦さんの文章は,毎週土曜日,Japan Mail Mediaから配信されるfrom 9.11/ USAレポートで読んでいるのですが,今回,「上から目線」に関する本を出版されたということで,さっそく読んでみました。

「上から目線」の時代 (講談社現代新書)

「上から目線」の時代 (講談社現代新書)

「日本語の表現は『上下関係を基軸として相互に円滑な関係を維持する』というのが基本的な構造」であると指摘する著者によると,近年の日本では,世の中にあると信じられてきた共通の価値観が消滅したことによって,当たり障りのない話題が無効になり,話題に伴う「会話の形式(著者は「会話のテンプレート」とも呼んでいます)」までもが無効になっているということです。その結果として,初対面での会話が危機に陥り,世代間の会話が難しくなっていると説明を続けます。

 そうした実例の一つとして,日本企業における内部統制の難しさを挙げています。これまでの日本の内部監査人に求められてきた資質について,著者の見解はこんな具合です。

 昔の日本企業では,「なれあい」の監査というのが横行し,しかも企業内の「和」を保つためということで,経営層もそうした「なあなあ」の監査を許していたのである。「そこを何とか……」であるとか「何もかもダメとは言っていない」というのは,まさしく会話のテンプレートであり,こうしたテンプレートを使うことで監査する側とされる側の間に「関係の空気」を発生させてスムーズな会話を進める,そんな慣行があった。
 監査としては「なれあい」なのだが,そんな雰囲気を作りながら,しっかり各部にコンプライアンスの睨みを利かせ,万が一許容できないような行為が見つかったときは,キチンと処置をする。社内の監査人としては,そんな特殊技能を持った人間が期待されたのである。

 ところが,最近は,内部統制や監査において「なあなあ」の姿勢は許されなくなったと続けます。

 コンプライアンスの問題は,以前とは比べものにならないほど真剣に取り組まなくてはならなくなった。法制が厳格化した。社会の目が厳しくなったということもある。だが,経済界全体としての成長神話がストップする中で,後ろ向きの経営に陥った会社や部署が法律に抵触する一線を越えてしまう。やがて,それが露見することで企業や企業グループ全体の信用が失墜する。そのことの恐ろしさに経営者が気づいたという面が大きい。

 その結果として,監査の場では会話が成立しなくなり,権力の行使が「上から目線」で行われるようになります。また,こうした問題が内部統制という特別な局面だけでなく,日々の業務においても職場内の関係をギスギスしたものにしていると締めくくっています。

 そして文末で,「上から目線」は,自己を見出した日本人による異議申し立てであると結論づけます。

 思えば,21世紀に入ると共に,日本では静かな革命が進んでいたのである。
 個人主義イデオロギーとか神との対話といった大げさなものではなく,日本人は静かに「自己」というものを見出した。いったん「自己」を見出した日本人は,滅んだはずの昔からの秩序に従って,「上下関係のどこか」に自分を規定されることに対して,ハッキリとした違和感を表明し始めたのである。
 それが「上から目線」という異議申し立てであった。

 本書を読んで,「上から目線」ということが言われるようになったのは,福田元首相や麻生元首相の時代からであったことを思い出しました。
 あのころからずいぶん歳月が過ぎたような気がしますが,福田元首相の辞任からはまだ4年もたっていないわけで,その間にすっかり市民権を得た「上から目線」という言葉は,私たちのコミュニケーションに大きな影響を与え続けているようです。民主党政権の歴代首相がひたすら低姿勢な言葉を連ねるのも,その証左なのかもしれません。

【税理士 米澤 勝】