[書籍]小田嶋隆『その「正義」があぶない』・『地雷を踏む勇気――人生のとるにたらない警句』

 コラムニストの小田嶋隆さんが日経ビジネスオンラインで連載している「ア・ピース・オブ・警句」が2冊の本になり,出版されました。連載中のコラムは,毎週金曜日に配信され,筆者も金曜の朝は,本連載を読むことを楽しみにしています。

その「正義」があぶない。

その「正義」があぶない。

 出版順に,『その「正義」があぶない』から紹介します。収録されているのは,2009年4月から2011年10月にかけて執筆された19篇。正義を語られている対象は,原発,サッカー,メディア,相撲,日本人,政治と多岐にわたり,終章としてスティーブ・ジョブズ氏への追悼文が寄せられています。

 正義について,小田嶋さんはこうコメントしています。

 正義は,それに反する者を排除し,自分たちの陣営に与しない人間を敵視するための装置になる。であるから,正義という文脈で話をしているうちに,人々は,いつしか正義と不正義を峻別するフィルタリングの作業に熱中するようになる。つまり,正義は,思考停止ワード(というこの言葉もまた極めつきの思考停止ワードであるわけだが)なのである。震災以来,原発をはじめとするあらゆる分野で,人々は,議論ではなく,「正義(←「議論の余地のない正しさ」は,議論を圧殺する)それ自体を求めるようになった。(中略)正義を含む議論に直面した時,われわれは,眉間にシワを寄せ,鼻の穴をふくらませがちだ。それは,よろしくない態度だ。追い詰められ,行き詰まり,進退窮まった時にこそ,われわれは,笑えなくても,せめて一旦脱力するべきなのであって,私が無理やりなジョークを通じて世界に提供しようとしていたのはおそらくそれなのだ。(発刊によせて)
 今日も,オリンパス社が取締役・監査役に対して損害賠償請求訴訟を提起したというリリースが出されています。損害への関与度合いと賠償請求額については,もう少し取締役責任調査委員会の報告書を熟読しないと何とも言えませんが,最も在任期間の短い方(当然請求金額も低いわけですが)で1億1千万円が請求され,現代表取締役は「何も知らなかった」にもかかわらず,5億円が請求されています。こうした会社からの(株主代表訴訟も含みますが)損害賠償請求が,企業不正を根絶することにはつながらなかったのは,これまでの歴史が教える通りです。懲罰だけでは,残念ながら,企業不正はなくなりません。
 むしろ,小田嶋さんが,本作品の中で,相撲界の八百長問題に関して書いたコメントのほうが,企業不正を根絶するキーワードかもしれないと思ったりしました。

 法令の遵守は,罰則による威圧や,社会的な強制よりも,美意識によって達成されるべきだ,ということだ。八百長に加担することが,どうにもみっともない,恥ずかしい,きたならしい生き方であるということが,全力士の間で共有されれば,自然にそれは消滅するはずだ。損得や金勘定の利得を超えて。(コンプライアンスとコンプレックス)

地雷を踏む勇気 ?人生のとるにたらない警句 (生きる技術!叢書)

地雷を踏む勇気 ?人生のとるにたらない警句 (生きる技術!叢書)

 一方の『地雷を踏む勇気――人生のとるにたらない警句』に収録されているのは16篇。うち14篇が東日本大震災後に書かれたもので,当然のことながら,震災・原発に関する文章が多くなっています。

「地雷」とは,小田嶋さんはこう語ります。

 コラムニストにとって,時事ネタは時に地雷になる。時間軸に沿ってその意味を変える主題は原稿の賞味期限を短くするものだし,政治的な話題を扱うためには,文章上の技巧を云々する以前に,結果を顧みない思慮の浅さみたいなものが必要だからだ。(まえがき)
 本書で最も興味深かったのは,震災があった日,3月11日に配信されたコラムと,その翌週のコラムが両方収録されているところでした。震災前のコラムでは,「草食化」「少子化」についてコメントしておられますが,その翌週のコラムで,小田嶋さんは,こう評しています。

 先週の今ごろ,私は,当欄のためにホワイトデー商戦の衰退に関する原稿を書いていた。なんとお気楽な原稿であったことだろう。信じられない。半年前の出来事みたいだ。それだけ,私の頭の中味がすっかり入れ替わっているということだ。実際,この一週間で,すべての状況は変わってしまった。(善き隣人のための無常観)


 2冊を一気に読みながら,毎週の連載を,タイトル以外は大きな変更もせずに1冊の本にまとめるというのは,すごいことであると感心しました。各週の原稿が一定のレベルにあって,しかも1回ごとに「オチ」がないと,こういう本作りはできないと。ジョークに関しては,小田嶋さん自ら,「いくつかは明らかにスベっている(『その「正義」があぶない』の「発刊によせて」より)」と評しておられますが,すべての文章に既読感を抱きながら,それでも,一気に,しかも楽しく読むことができたのは,小田嶋さんの見事な業であったのではないかと感じました。

 読みながら考えていたもう一つのこと。
 それは,この2冊の本のように,無料で配信され,現在も無料で公開されているコンテンツを紙媒体に変換しただけのもの(多少の改定はなされているとはいえ)にどれだけの魅力があるのか,ということでした。私は,この2冊の書籍を,店頭で探すこともネットで注文することもせず,蔵書検索で該当しなかった,なじみの図書館にリクエストカードを出し,発刊から1カ月程度の時間差をおいて読むことを選択しました。既に読んでしまっているコラムを,しかも,今でも閲覧可能なものを買う必要まではないのではないか,と。
 一方,図書館で借りることを選択したということは,逆に言えばコンテンツを再読する時間は惜しくはないと判断し,どのようなコンテンツを選択してまとめているかという点には興味があったとも言えます。
 ネットでの連載を読んでいない文章であれば,「買う」という選択をする可能性が強かった気もしますが,逆に,ネットで連載を読んでいるものについては,紙になったからといって読む必要はないと考える可能性もあるでしょう。当然,すぎに結論が出る話ではないのですが,紙媒体の電子化ではなく,ネットで公開したコンテンツの紙媒体化のニーズについては,あまり語られていない気がしているのですが。

 最後に,収録されていた「警句」の中で,気に入っているものを一つ。

 二兎を追うものは虻と蜂の両方に刺されて悶絶することになる。間違いない。(『その「正義」があぶない』所収,「横綱という束縛」より)
【税理士 米澤 勝】