[租税争訟]不利益遡及立法は許されるか――二つの最高裁判決

 平成16年度の所得税の改正において,長期譲渡所得で発生した損失について,他の所得との損益通算を認めない(なかったものとみなす)という規定が租税特別措置法におかれ,この規定が施行された4月1日から遡って平成16年1月1日からの取引に関して適用される(附則により規定)こととなった税制改正については,租税法規の不利益遡及立法を問題視する論考が,税制改正当時から数々表明されてきました。
 改正の趣旨はこうでした。長期譲渡所得に関しては,利益が発生した場合は,分離課税により他の所得と分離して低い税率での課税が行われる一方,損失が発生した場合には,他の所得(たとえば事業所得や給与所得など)から生じた利益と損益通算をして,納付すべき所得税の減額が認められてきました。この取扱いが納税者間の不公平につながるとして,損益通算が認められない所得である雑所得同様,これを認めるべきではないとする主張がされてきました。
 平成16年税制改正の流れを簡単に振り返りますと,平成15年12月15日,政府税制調査会は『税制改正大綱』を発表しますが,この中には本件で問題となった改正は盛り込まれていませんでした。その2日後,12月17日の自民党税制調査会の『税制改正大綱』において,本件改正が唐突に日の目を見ます。その後,年明けの改正論議でも,その唐突さが問題となったようですが,平成16年1月16日の閣議決定,2月3日の法案提出を経て,3月26日に改正法は成立し,3月31日公布,4月1日施行されることとなり,その改正附則の中で,平成16年1月1日から3月31日までの間に行われた長期譲渡についても遡って適用されることとなりました。

 その後,実際に,平成16年1月1日から3月31日までの間に不動産の譲渡等を行い,改正前の規定を適用して,それによる譲渡損失を他の所得との損益通算を行った後,所得税の確定申告を行った納税者に対して,課税庁が損益通算を認めない旨の処分を行ったことをめぐって,いくつかの訴訟が提起されてきました。中には,福岡地方裁判所における事件のように,「遡及立法による課税は憲法違反である」と断じた判決もありましたが,判決の帰趨は,納税者に対して厳しいものとなっていました。
 そうした中,この税制改正をめぐる議論に決着をつける判決が,9月22日,9月30日と最高裁判所で言い渡されました。判決はいずれも,本件損益通算の廃止が1月1日からの取引に遡って適用されることについて,憲法84条に違反するものではないとして,納税者が求めた処分の取消を認めず,上告を棄却しました。
 なお,両判決とも納税者側の上告代理人は同じですので,納税者側の主張はほぼ同じだったことが推測され,その結果として,二つの判決はその内容が酷似していることから,裁判所の判断を9月22日判決から引用し,両判決の相違点として,9月30日判決における千葉勝美裁判官の補足意見を引用します。

 まず,9月22日に言い渡された最高裁第1小法廷判決は,憲法84条は「課税の要件及び租税の賦課徴収の手続が法律で明確に定められるべき」としながら,「租税法規の変更及び適用も,最終的には国民の財産上の利害に帰着する」として,憲法29条の財産権保障について触れ,憲法84条の趣旨に反するか否かについては,「暦年途中の租税法規の変更及びその暦年当初からの適用による課税関係における法的安定への影響が納税者の租税法規上の地位に対する合理的な制約として容認されるべきものであるかどうかという観点から判断」すべきであり,「長期間にわたる不動産価格の下落により深刻な影響が生じていた状況」において,「適用の始期を遅らせた場合,損益通算による租税負担の軽減を目的として土地等又は建物を安価で売却する駆け込み売却が多数行われ」て,「立法目的を阻害するおそれ」があったことを公益上の要請としました。
 そして本件改正により事後的に変更されるのは,「納税者の納税義務それ自体ではなく,特定の譲渡に係る損失により暦年終了時に損益通算をして租税負担の軽減を図ることを納税者が期待し得る地位にとどまる」のであって,納税者のこうした地位は,「財政・経済・社会政策等の国政全般からの総合的な政策判断及び極めて専門技術的な判断を踏まえた立法府の裁量的判断」に基づき設けられた性格を有し,「長期譲渡所得の金額の計算において損失が生じた場合にのみ損益通算を認めることは不均衡であり,これを解消することが適正な税負担の要請に応えることになる」のであるから,こうした地位について「政策的見地から否定されるに至っていた」と判示するに至ります。
 その帰結として,「暦年の初日から改正法の施行日の前日までの期間をその適用対象に含めることにより暦年の全体を通じた公平が図られ」,また,「その期間も暦年当初の3カ月間に限られ」ており,「納税者においては,これによって損益通算による租税負担の軽減にかかる期待に沿った結果を得ることができなくなるものの,それ以上にいったん成立した納税義務を加重されるなどの不利益を受けるものではない」から,「本件改正附則が,憲法84条の趣旨に反するものということはできない」と判決を締めくくりました。

 その8日後の9月30日,第2小法廷判決における千葉勝美裁判官の補足意見は,売買契約を前年12月26日に締結し,土地の引渡し等が2月26日になった本件事案について,「不測の不利益を与えることにもなり,また,必ずしも駆け込み売却を防止するという効果も期待し難い」ところ,「本件改正附則は,いわば既得の利益を事後的に奪うに等しい性格を帯びる」ため,「憲法84条の趣旨を尊重する観点からは,上記のようなケースは類型的にその適用から除外するなど,附則上の手当をする配慮が望まれるところであった」と結んでいますが,どうも中途半端である印象をもちます。

 筆者は暦年課税である所得税においても,暦年途中の不利益改正は,納税者の予見可能性を阻害するため許されないという立場です。本件改正について言えば,改正附則で平成16年1月1日に遡及して長期譲渡所得の損益通算を認めないとしたのは,明らかに租税法律主義に違反する行為であり,平成16年度確定申告において課税実務上多少の混乱を生じたとしても,同年4月1日以後に成立した取引に係るものを損益通算不適用の対象とすべきでした。
 ただ,それ以前に,筆者として疑問に思っていることを二つ挙げます。
 最高裁判決ではほとんど触れられていないのですが,平成16年の改正については手続保障の原則から,相当な批判があります。すなわち本件改正は平成15年12月17日の自民党税制調査会が発表した税制改正大綱で初めて明らかにされたものであり,それに先んじて発表された政府税制調査会の答申にはまったく触れられていなかったものでありました。年明けに行われた改正論議でも,その唐突さを問題視する発言があったということでもあり,政府税制調査会の役割を考えれば,与党税制調査会が独断で税制改正大綱に盛り込み,しかも公布後遡及して適用させるという行為は,税制改正における適正手続原則に反しているのではないかというものです。損益通算廃止を遡及して適用するという政策決定が,「駆け込み売却により不動産価格の下落に拍車をかけ,我が国の不動産市況や経済の安定等に悪影響を充てるという事態を避ける(9月30に判決における千葉勝美裁判官の補足意見)」ことを目的としているということが,与党税制調査会の結論として唐突に出てきたことは,逆に言えば,その政策を後押しする「何らかの力」が働いたのではないかと疑念を抱かせるものがあります。旧政権における党税制調査委会の政府税制調査会に対する優位性そのものが,手続保障の原則を踏みにじる事態であったといえるかもしれません。
 さらに,筆者が根本的に疑問に思うのは,わが国所得税制は「総合課税」を原則としながら,雑所得の損益通算が認められなかったり,譲渡所得や退職所得が分離課税とされていたり,利子所得や配当所得には申告不要の制度があったりと,所得税法の根幹をないがしろにする立法措置を重ねている点です。もちろん,納税者の負担軽減のために,分離課税などの制度を設けること自体に反対するものではありませんが,利益に対して分離課税を行っているのに比して,損失の場合に他の所得との損益通算を認めるのが不合理(税負担の不公平)であると主張するのであれば,本来的には,譲渡所得についても分離課税を廃止して総合課税を原則とし,ただし,急激な租税負担の増加に配慮して一定の納税者優遇規定を設けるという制度への改正を模索するのが本筋であり,本来の所得税制からは例外的な取扱いであるはずの分離課税を温存し,それとの比較で課税の公平性を検討するというのは,本末転倒ではないかと思ってしまいます。

【税理士 米澤 勝】